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★沖縄風景[随時更新]→空の巻・海の巻・花の巻・電の巻/

2006年08月28日

短かった夏。東京再び[極私的[ぬ]沖縄]

2006年4月に4年間住んだ東京から沖縄に戻ってきた。
新卒・新社会人。

関連リンク;目的は変わっていない[極私的[ぬ]沖縄]


諸事情あり、2006年7月末に会社を離れることになった。
在籍4ヶ月。






「沖縄に行ってバリバリに頑張ります!」とほんとにいろんな人に言ってきた。
実質、何も成せなかった。

あれだこれだと昔に書いていたこと、言っていたことが恥ずかしく、とてつもなく自己嫌悪になる。
自分の無力さ。どうしようもなかったと思う・・・・

けれど、この4ヶ月。
沖縄を北へ南へと奔走し、ものすごく感じることが沢山あった。
自分に対して、沖縄に関して。

私としては、ほんとに沢山の人と会い、いろいろな話を聞けたと思っている。
毎日、毎日、今日はこんなことを言われた、こんな風なことが問題になっている。
などなど書き溜め。

感謝です。


沖縄→鹿児島→東京→沖縄、そして東京again!
再び、東京へ戻ります。
沖縄では働くところがありません。

このブログは人生の軌跡です。


***


そして・・・
9月中旬から東京都内の出版社で記者?として働くことになりました。
文章を書くお仕事です(汗)

「EMPOWER OKINAWA!!」
に繋がれば、これ以上嬉しいことは無いけど・・・
そう簡単にはいかないだろうなぁ~


再び故郷、沖縄に帰れないことも覚悟しています。
もう割り切りました。
ここ東京から沖縄にアンテナを向けていきたいと思います。

みなさま”
今後ともよろしくお願いいたします。

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Posted by Tstsshihica at 04:37Comments(15)TrackBack(0)極私的[ぬ]沖縄

2006年06月04日

はなむけの言葉、ありがとう

私の友人がブログで「はなむけの言葉」を僕にくれた。
今からおよそ、2ヶ月前のこと。

関連リンク;沖縄へと戻る同志へ


このメッセージをもらったとき、正直、僕は嬉しくて嬉しくてたまらなかった。
いつ、このブログに返信しようか、しようかと思っていた。すぐにでも返信したかった。

けど、彼が「はなむけの言葉」を送ってくれたゆえ、沖縄での生活が落ち着いてから「はなむけの言葉」に感謝の言葉を書こうと思っていた。今日、やっとその日だ。

***


RYOさん、はなむけの言葉ありがとう。ほんとにありがとう。
最後に会ったのはいつだろう。君の公演を見た以来だろうか。

君とは中学校一緒だった。
もう今からすると、何年前のことになるだろう。もう忘れてしまった。
星新一の本に心ときめかせ、少し悪ぶって筒井康隆の本を読んでいた時期だ。

放送部なるものを生徒会で立ち上げようとして、うまくいったのか、企画倒れになったのか・・・高校で離ればなれ。大学で関東にいると風の便りで聞き、何のきっかけだろうか、何年ぶりだろうか、東京で、RYOとけいたと飲むことが出来た。

僕は、あのきっかけは、運とか、縁とかではなく、必然のように感じた。
僕は今日、沖縄那覇、おもろまちで南灯寮時代の同輩・後輩と飲んだ。
あの日も、こんな感じだった。

僕は、今、酔っているかもしれない。
けど、RYOがブログで「はなむけの言葉」をくれたこと、東京で何気ない機会に再開できたこと、それがとてつもなく、嬉しく感じる。


彼と話すといつも思うのが、同じ沖縄人である自分が凄いなぁと思うくらい、
「沖縄」に情熱を傾けている。沖縄人は誰しも郷土愛を持っていて、
かつ一度沖縄を巣立ち、内地(沖縄以外の日本)で生活するとその傾向は
強まるのだけれど、彼はいつもいつも「沖縄は、沖縄は」と話しかけてくる。
ブログでも東京に居ながら話題はほぼ沖縄のことだ。


RYO、君は、君のブログの中で、そう書いてくれた。
確かに、僕は、高校から沖縄を離れて以来、かなり沖縄にこだわっていた。

囚われていた・・・と言い換えていいのかもしれない。
囚われていたのだ。


今思えば・・・自我の固まらない高校時代、単身沖縄を離れた私に、自我を主張するものが「沖縄」しかなかったのだ。私の内に他の人との違いを主張するものが「沖縄」しかなかったのだ。たぶん。

「郷土愛」なのか・・・僕には分からない。

東京にいたとき、いろいろと感じることがあった。沖縄に対して。
あ~すれば、いいのに!
こ~すれば、いいのに!
それは、イメージでしかない。

東京にいるとき、リアルな、イメージではない沖縄を感じたいと思った。
東京から沖縄に戻った。
今、働いている会社に入り、毎日、(たぶん・・・)リアルな沖縄を感じている。


今、僕が見ている沖縄は、きっと、きっと蟻の目から見た沖縄だ。
イメージではない。

沖縄でも、何でもない。
ここは沖縄ではない。
ただ、ただ、働いている場所が「沖縄」なのだ。

青い空、青い海、気持ちのいい自然。
確かに、そこにある。手を伸ばせば、そこにある。
けど、今の僕にはほとんど関係がない。

***


僕が大学院生時代、専攻していた電磁波工学には「静電界」「誘導界」「放射界」という考え方がある。

例えば、携帯電話のアンテナから出てくる「電波」が、電波としての性質をしっかりと表すのは、アンテナから遠く離れた場所なのだ。逆にアンテナに近づき過ぎると、電波の性質は、混沌と、もやもやとしていて、しっかりとは分からない。

そんなものなのかも知れない。
近づき過ぎると、逆によく分からなくなるのかもしれない。




少し酔って、いろいろと、たわいもないことを書いてしまった。
今、君は、東京の地で、何を、感じて、いるのだろうか。
きっと、東京の空の下、あの地で頑張っているのだろう。

働くということに関して、東京も、沖縄も関係ない。
そんなことは、どうでもいいのだ。
お互い頑張ろう”

今、僕は、ブルハの音楽を聴きながら、首里の街並みを眺めている。
真っ暗だ。
風はとても涼しく、気持ちがいい。

確かに、確かにここが、ここは沖縄だと思う。


僕には、夢がある。
両手じゃかかえきれない。
建前でも本音でも、本気でも嘘っぱちでも。


ただただ、今、見えていない、沖縄の景色・風景が見たいというのが、夢なのだ。

う~ん、素晴らしく青臭い!!
まぁいいや。
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Posted by Tstsshihica at 03:04Comments(2)TrackBack(0)極私的[ぬ]沖縄

2006年04月03日

ただいま沖縄[極私的[ぬ]沖縄]

ふと目がさめると、そこはオキナワだった。

沖縄に帰る直前は、こんな感じ→「卒業式の次の日の朝」「しっちゃかめっちゃか」だったので、沖縄に帰る飛行機の座席につくやいなや爆発したように睡眠してしまったのだ。

ふと目がさめると、沖縄に着いていた。
飛行機の窓から外を眺める。見慣れた那覇空港。

今でも9年前、沖縄を離れるときの那覇空港の風景を思い出す。

あのときと同じ空港だ。空港は何も変わらない。
僕は何か変わったのだろうか。何か長い冬眠をしていたような感覚になる。

大きな鞄を持ち、父の見送られひとり搭乗口に向かって歩いたこと。
ドキドキした不安と希望と無邪気な夢と・・・・

この9年間で僕は何か変わったのだろうか。何も変わっていないで欲しい。

飛行機の中では、かすかに聞き覚えのある音楽が流れていた。
初めて海外・シンガポールで、8日間滞在したとき、サマービューという窓の無いホテルで毎日毎日、朝にエンドレスで流れていた音楽だ。あのときのドキドキとした感覚がフィードバックする。

心地のよい気持ちがいい朝だ。目覚めの朝だ。

朝でも生暖かい沖縄の風を感じながら、目の前に続く道を歩いた。




  

Posted by Tstsshihica at 01:12Comments(2)TrackBack(0)極私的[ぬ]沖縄

2006年03月21日

目的は変わっていない[極私的[ぬ]沖縄]

引越し間際。
「最近、人生について考えることが多い」
なんて大上段に話を始めてしまっては、これからの展開が難しいですね・・・

最近、新宿やら渋谷の街を歩いているとよく話し掛けられる。
手相を見せて下さい」とか「人生についてのアンケートをとってます」とか。

話掛けられたら拒絶しない!をモットにしているので、手相を見せたり、アンケートに答えたりする訳だが、なぜだか、その方々との会話が自然に人生の話になってゆく。

「あなたは中途半端だ」とか「あなたには軸が無い」なんて言われると、見知らぬ人からの何を根拠にした意見だか分からなくても、ついつい考え込んでしまう。


ふとイナズマンさんのブログの「目的は変わっていない。手段が変わっているのだ。」という言葉を思い出した。






僕の目的・手段は何なのだろうと・・・・

中学校時代、NHK出版の「電子立国日本の自叙伝」に感動した。「産業の米とも呼ばれた半導体が日本の高度成長を支えた」というようなフレーズに、これから沖縄でも半導体の工場が、ばんばん作られるに違いないと思い込んだ。

何も分からない中学生の思い込みは怖いものだ。

いてもたってもいられず、中学校卒業後、単身親元を離れ、とある高等専門学校で電気の勉強を始めた。将来、沖縄の半導体工場で働こうと意気込んだのである。

電気の勉強をしていくうちに、半導体は小さい分、九州などの都市から離れた場所でも作ることができるが、工場のための膨大な土地と、潤沢な水が必要であることが分かった。駄目じゃん、沖縄。

「将来、沖縄の半導体工場で働こう」という目的は達成できなかったが、勉強を続けるうち、研究者への憧れがでてきた。尊敬できる先生方、勉強の面白さ?から洗脳され?目的が変わってきたのである。沖縄で先生になりたい。そう思った。

興味があるテーマを見つけ大学院に進学した。
刺激的な研究室生活。
しかし、研究者の就職難、沖縄に一生帰れないかもしれないという不安、自分のセンスの無さといった現実を痛感するうち、何か違うと思い始めてきた。もしかすると、ただ厳しさから逃げたのかもしれない。

そして、沖縄で社会人として4月から働くことになった。
イメージ・夢が広がる。楽しみで仕方がない。



ある先生に「なぜそんなに小さな沖縄にこだわるのか訳が分からない」と言われた。まるでへばりついているようだ・・・と。僕も訳が分からない。

沖縄を離れた高校時代から沖縄への拘りみたいなものが、ついてまわる。なぜか。沖縄を離れた土地で感じた違和感。自意識過剰なだけだと笑われるかもしれない。そうかもしれない。ただ、目をつぶって、避けて歩けないのだ。


見知らぬ手相を勉強している人に言われた。
「あなたは中途半端だ」
このフレーズが頭でぐるぐるしている。まったくそのとおりだ。

ただ僕の中で、いつもアンテナの向きは沖縄だった。
「目的は変わっていない。手段が変わっているのだ。」と強がって言いたい。

今まで書いたことは、全て後づけの考えなのかもしれない。
引越し直前、桜もほころび、少しセンチで重たい今日このごろです。


このブログという環境は、極私的な事を書くのには、適していないのかもしれない。
けど「私」を表出しなければ、何もないのと同じ・・という考えのもと、いろいろと書いてみました。  

Posted by Tstsshihica at 16:28Comments(9)TrackBack(2)極私的[ぬ]沖縄

2006年02月01日

沖縄と雪と私[極私的[ぬ]沖縄]

先週あたりだっただろうか・・・
空から「白いもの」が無数に落ちてくる。
東京に雪が降った。
真っ白な景色は1日だけなら綺麗。




出典:mixi南灯寮コミュにて頂きました。


道を目的もなく歩く。
体にまとわりついた「雪」が解けて初めてそれが水であったことを思い出す。

僕が初めて雪をみたのはいつだったろう。
確か小学校1年生ぐらいのころ、父が北海道にいる友人に頼んで「雪」を送ってもらった。
北海道の雪は沖縄に届いた時、カキ氷になっていた。
真冬だったのにも関係なく、冷蔵庫にあるカキ氷シロップをかけて飽きるまで食べた。
今だったら汚いと思うだろうか。
父は綺麗な田舎の氷だからと、カキ氷をカキ氷にする私たちを咎める母をたしなめた。



確か小学校6年生のころ。
少年の翼で沖縄から北海道へ行った。
真冬。気温差18℃マイナス(マイナス6℃)
素肌で感じる雪。
1週間の白だらけの生活。
初めの日、みずから触り、転がり、踏みしめ感じた雪を2日目から避けるようになった。
2日目から緑の沖縄が恋しくなった。



沖縄生まれという事が関係しているのだろうか。
北海道へひかれて仕方がない。
真冬に青春18切符で周る北海道7泊8日。
朝、鈍行電車に乗り、夕方目的地に着く北海道の広さ。
車中窓から見える白だけの世界。
白は、全ての色を加色した色なのだ。そういえばと・・学校の授業を思い出す。

バスで温泉行き暖まり、バス停で待つ。
なんと人間は暖まりにくく冷めやすいのだ。
あら?確か人間の80%は水だったはずだが?

駅での野宿を予定し即断念。
宿を探し吹雪の中歩く、これが雪なのか。


鹿児島、東京での生活。
生活の中での雪。
雪上を走る自転車は、転ぶ。
雪が溶け凍った地面は、すべる。
洋服に積もった雪は、溶け水になる。
そして何より、たまに降る雪は真っ白でとても綺麗で神秘的。
たまになら歓迎するぞよ冬将軍。

あれだけ邪魔だと感じた雪。
のど元過ぎれば恋しくなる今日このごろ東京は春の薫り花粉舞う。
ちょっと気が早いかな・・・

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Posted by Tstsshihica at 11:11Comments(4)TrackBack(0)極私的[ぬ]沖縄

2006年01月23日

中学校同窓会in東京[極私的[ぬ]沖縄]

県内中学校を卒業して10年近く。
ほとんどの友人とは音信不通になっていた。
10年ぶりに東京で再会。プチ同窓会の開催。
お互いにとって空白だった10年を埋めるようにおしゃべりを楽しんだ。
再び動き出した時間。

東京で社会人として働く人、学生として勉強している人。
みんなこの場所で頑張っている。

なんとなしに「沖縄」の話になる。
細かい内容は、書かない、書けない。
それぞれの思いがある。
うまく言葉にできないが、心が熱い、もどかしい。

僕は、青臭い言葉ばっかりしゃべったような気がする。
今は、学生で何も現実を知らない。
「一足先に沖縄に戻ります」とみんなに言った。

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Posted by Tstsshihica at 02:31Comments(2)TrackBack(0)極私的[ぬ]沖縄

2005年11月06日

さとうきびの記憶[極私的[ぬ]沖縄]

今日、東京の空は、痛快な程の青空だった。
青空を見ると小学生の頃、うーじ畑で遊んだことを思い出す。

その頃は母方のおじいちゃんがさとうきびをつくっていた。

遠くから見ると緑一色のうーじ畑も中に入れば、青空、緑の葉、茶色の葉、土の色が入り乱れるジャングルとかす。

ジャングルとは大げさかもしれないが、小学生の時分には十分ジャングルに思えたのだ。
小学生の私がキビ刈りで手伝えることといえば、茶色く枯れた葉を集めることか、じゃまにならないように遊ぶぐらいなものだ。土の上に敷かれた茶色い絨毯の上を飽きることなく走り回った。

お腹がすけば、目の前に山のようにあるきびをかじればいい。口だけであの堅い皮を剥くテクを身につけた。今でもできるだろうか。おじいちゃん、おばあちゃんが好きだったお茶、黒い包装の黒糖アメは小学生の私には大人過ぎた。

今、あの畑はどうなっているのだろうか。ここ東京でうーじ畑をみることはない。
けど、沖縄でも東京でも変わらない青空をみるたびに、あのうーじ畑を思い出す。

今食べているこの黒糖はどこのおじいちゃんが作ったものだろうか。




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Posted by Tstsshihica at 23:45Comments(0)TrackBack(0)極私的[ぬ]沖縄

2005年08月15日

沖縄の原風景[極私的[ぬ]沖縄]

沖縄を離れて10年近く。未だに頭をふとよぎる風景があります。これを原風景というのでしょうか?

幼稚園のころのバス通学。
銀色に輝く9番。
石嶺のバスターミナルから首里の山下までの一人旅。
やさしくしてくれた運転手さん。
儀保交差点、桃原の見慣れた風景。

小学校の5年間、石垣島で暮らす。
毎週末に行った米原キャンプ場、トミーのパン屋。
真っ青な海。真っ白い雲。
海の中に広がる桃源郷。何時間も何時間も魚を見てた。
魚に食べられかけた幼い乳首。

歩けないほどに焼けた白い砂浜。
背中が焼ける感覚。
海で泳いで塩辛くなった口の中。

夕日の海。潮が満ち、リーフが無くなる。
キャンプした夜聞いた、くりかえしくりかえし変わることのない波音。
なぜかとてもとても、切なかった。
月が照らす、砂浜を歩くやどかり。
身を針につけ、夜釣りをした。
何時間も何時間も、真っ黒の海を眺めてた。

毎日、毎日遊びに行った登野城漁港。
何をするわけでもなく、青い海横目にみんなで自転車乗って港を闊歩してた。
クーラの効いた石垣市立図書館。
どんぐりをひろったバンナ公園。
平真小学校のあこうの木。

中学校時代のバス通学。
市外線97番、102番、46番にお世話になりました。
バスで広がった行動範囲。極めたと自称する市外線。
沖縄の思い出はバスの思い出。

バスを出ると直に感じる太陽、国際通り。
公設市場に行く度に飲む、レモネード。

今は昔。

青く白い沖縄が、灰色に見えるような気がした。
離れたかった沖縄。
中学校を卒業して離れた沖縄。
今はもうイメージに成り果ててしまった私の中の沖縄。

あの頃を探しに、9月沖縄・石垣に旅行します。
そうしないと来年からの新しい社会人生活を始めてはいけない気がして。

来年からの沖縄での社会人生活。
10年前で止まっている沖縄の時間を再びスタートさせます。
イメージではないリアルな沖縄をまた感じます。
それが、いいのか悪いのか今はまだ分かりません。  

Posted by Tstsshihica at 00:41Comments(0)TrackBack(0)極私的[ぬ]沖縄